blog

ブログ

隠されたナザレイエスの真実。オムネク・オネク著抜粋 3最終

  • キリストが肉体の拷問による死に至ったのは人々の多大なカルマ背負わされたから
  •  残念なことに、人々にとって次第にキリスト自身のほうが彼の教えよりも重要なものになってしまいました。彼は精神的な指導者というよりも、名士のようになっていったのです。彼は人々を無知の状態から英知へと導こうとしていたのですが、ついに彼らへの哀れみのほうが上回ってしまいました。あまりに多くの民衆が癒しを求めてキリストにしがみついてくるようになり、彼はもはやそれを拒む自由意志を持つゆとりもないほどに、哀れみの情に包まれていました。彼は貧しく苦悩する人々への深い同情の気持ちに屈してしまいましたが、やがて自分がその報いを受けなければならなくなることも分かっていました。そして彼はその報いを今回の人生で受ける必要がありました。なぜならこれが彼にとって物理的な体への最後の転生であったからです。ですからイエスが人々の罪を引き受け、後にどのために死んだというのは、彼が助けたあさにその人たちによって多大なカルマを背負わされ、そのすべてが肉体の拷問による恐ろしい死という一つの報いとして結実したということなのです。聖書には、キリストが荒野に行って祈ると、偉大な存在が彼の、もとに現れたと書かれています。キリストの父を含むその当時の精神的な指導者たちは彼に対し、彼は哀れみの情に屈してしまい、自身の教えから横道にそれてしまったがために、この人生において肉体的な苦痛をうけるか、また生まれ変わってカルマを解消しなければならなくなるであろうと告げました。キリストは最初はそのような報いをうけたくありませんでしたが、遅かれ早かれ自分のカルマは自分で清算しなければならないことにやがて気がついてこう言いました。「私の願いとおりではなく、御心のままに」彼はスピリチァルな法則には従わなければいけないことを知っていましたので、自分を守ろうとすることはせず、むしろ苦痛をいま受けることによって、それをおわらせようと決意したのです。
  • 権力者の陰謀――キリストの教えそのものよりも彼自身を崇拝させるように仕向けた
  •  晩年にかけて、キリストは非常に多くの人々を癒し、たくさんの奇跡を行いました。それはローマとユダヤの指導者たちに脅威を与えるには十分なものでした。やがて彼は追い詰められて捕らわれました。総督ピラトはキリストを深く尊敬していましたので、彼が自己保身をするように説得までしましたが、キリストはそれを拒みました。彼は罪を贖わなければならないことが分かっていたからです。ローマとユダヤの指導者たちはアトランティスの時代に地球に何が起こったのか知っていました。彼らはいくつかの古代テクノロジー装置を自らの権力とその行使のために隠し持っていたからです。彼らはキリストがいかに彼らにとって危険な存在になりつつあるのか分かっていました。なぜならキリストは過去の歴史を暴露し、彼らが策略ををもって組織立てた教会背を向けさせつつあったからです。彼らは1人の囚人を釈放することで人々に選択をさせようとしました。こうすれば自分たちが責任を負わずに済むからです。それは殺人者・盗賊として知られていたバラバとキリストのどちらを釈放するかということでした。彼らは群衆の中に兵士たちを回らせ、バラバの釈放を叫んだ者に黄金を与えるという計画を企てました。計画の第二段階は、キリストの処刑後に彼の名のもとに統一された宗教を組織することでした。彼らはキリストの復活の預言を知っていたのです。彼らはまたカルマの法則も理解していました。もし彼らが未来の世代にキリストを崇拝させ、その子供たちに洗礼を受けさせ、その全生涯とすべての行いをキリストのために捧げるような信仰をもたせることができれば、それらの人々によってキリストにもたらされる苦悩と責任とカルマが増大し、彼の精神的な進化が遅れ、一定の次元内に拘束されることになり、もはや脅威の存在でなくなると考えたのです。キリストが予想だにしなかったことは、彼を崇拝して私的なマスタj-と考える未来のすべての教えが宗教にまでなり、自らが教えようとしたことよりも自分自身のほうが重要視されるようになろうとは夢にも思わなかったのです。キリストを滅ぼす手助けをしたのと同じ勢力が、今や手の平を返したように彼を担ぎ上げ、神の息子として拝めさせようとしているのです。ユダヤ民族ですら、キリストの生涯が一冊の本となり全世界に広められるのを許しています。そこにはイエスが教えた真理のいくつかが除外されています。そしてほとんどの教会にあるキリストの肖像は、拷問を受けて血を流している姿のものです。
  • 十字架苦しみ自らが背負ったカルマほとんどを解消したキリスト
  •  十字架の上で苦しみ、自らが救った人々に嘲られながらも、キリストは自身が背負ったカルマのほとんどを解消しました。その一方でキリストは彼らをとても哀れんで神に願いました。「彼らを許し給え。彼らは自分たちがしていることを分かっていないのです!」
  • 彼の苦しみさらに度合いを増し彼が思っていたよりずっと続きました彼は大いなる苦しみ終わるまで肉体を去ることが出来ませんでしたしかし彼の父親宇宙船で急接近して彼を救い来てくれないので、彼は叫びました。「父よ私の父よ、なぜ私をお見捨てなるのですか?」キリスト母星人たちある計画立てていました。彼が苦しみ受けたくないと父に懇願したあの荒野で、彼の父はその計画をキリストに話していました。それは人々に対して、肉体が死んだ後にも人生は続くこと、そして肉体はただの乗り物にすぎず、魂はそこを離れたり再び宿ったりできることを示すことでした。しかしキリストの時代の民衆は復活をそのように解釈せず、キリストの偉大な奇跡の一つだと思ってしまったのです。
  • キリストの復活―― 宇宙船内で修復された彼の肉体
  •  キリストが息を引き取ると同時に、凄まじい嵐が巻き起こり、真っ黒な雲が太陽を覆いました。これはキリストを信じなかった者たちを震え上がらせ、後に書かれたキリストの物語において大いに協調されました。この嵐は実際にはキリストの信奉者たによる集合的なサイキック・パワーによって引き起こされたものでした。彼らは神の怒りに絶対権力者だと信じていたのです。キリストの死後、彼の遺体はマリアやキリストの友人たちによって用意されていたお墓に移されました。権力者たちはその遺体が人々によって盗まれないように墓に護衛を配置しました。実際には彼らはキリストの救済のための計画を知っていたためにそれを防ごうとしていたのです。しかし宇宙船がキリストの墓の近くに着陸した時、護衛たちはその光と強烈なエネルギーの場の影響で気を失って倒れてしまいました。そしてキリストの遺体は修復のために運び出されました。遺体となった肉体の修復のために彼の父親が準備をしている間、キリストは彼のアストラル体の中で待機していました。死後24時間以内の肉体は、細胞と組織を再生する放射線によって修復することが可能なのです。そして魂は再びその中に宿ることができます。キリストの墓にやってきて遺体が消えているのを最初に見つけたマグダラのマリアでした。彼女は意識を取り戻してから目の前で起きたことの詳細を思い起こしました。彼女がちょうど墓に着いた時、そこにはきらめく長い衣服を身にまとい、輝きに包まれた天使たちがいました。そしてマリアにキリストは生きているという知らせを告げさせたのでした。彼女の記憶では、彼らは墓の入口の大きな石を転がしながらこう言いました。「恐れてはいけません」。彼女は天国から来た
  • 天使たちがイエス癒したのだと信じ彼を探すために出かけていきました。聖書にはキリスト多くの信奉者たちの目の前に現れた時に、彼が話かけるまでは、彼らの誰もそれがイエスだとは気がつかなかったという記述が多数あります。また、キリストの墓のそばに光沢のある長い衣服を来た存在たちがいたという報告も複数あります。マリアの前に現れたキリストはこう言いました。「私はまだ体になっていません。私に触れてはなりません。また戻ってきます」。かれはこのようにしておおぜいの人々の前に姿を見せ、アストラル体によって扉や壁を通り抜けました。彼の肉体は宇宙船で修復され、そこに再びキリストの魂が宿りました。そして彼は人々に自分の体を示し、彼らがそれに触れることを許したのです。かれは人々にいいました。「私はここを去ります。天にまします父のみもとで共に暮らすためにです」。人々は彼の説明を自分たちなりに最善を尽くして解釈しました。キリストが宇宙船で去ったことを、天国への上昇という表現で伝えたのです。彼は父と共に戻ってきて、そこで結婚して、のちに子供たちをもうけました。彼は再び肉体の死を迎えるまで長い間行きました。
  • イエスさらにカルマ解消ためにコーザル界にとどまりキリスト教の誤解を説いている
  •  キリストは彼の同胞民族たちを彼らの多くの生涯わたって導いています。キリストは彼らの内なるマスターであり、内なる経路を通して彼の信奉者たちとコミニケーションを取っています。自身の巣くいを彼に見い出したすべての人々に対する精神的な責任が彼のカルマとなるのです。彼は各個人の指導をできるだけ引き受け、一人ひとりをキリスト教から離れさせ、より偉大なスピリティアルな道へと導いています。彼がこのようなことをしているのは、下層世界のコザール界に自分を引き止めているカルマから解放されるためなのです。あらゆる行為が彼の名のもとに行われています。あらゆる戦争が彼の名のもとで戦われ、あらゆる子供たちが洗礼を受け、あらゆる人々がキリストの名のもとに自らの人生を生きています。これらがさらに彼を下層世界に縛り付ける鎖となっているのです。キリストがすべての誤解から解放され、キリスト教にいるこれらすべての魂が他の道へと出て行くまで、キリストは下層階層の時空であるコーザル界にとどまっていなければならないのです。コーザル界の中にあるこの天国のような場所は、集合意識で創られたものです。それはこの地球上におけるキリスト教徒の信仰なのです。

アーカイブ