子育ての責任は、命を粗末に扱えば罪人になるぐらい重い。
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子育ての責任は命を粗末に扱えば罪人になるぐらい重い。
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- Q: 俺と同じように稼いでみなよ!主婦は良いよな~自由で気ままで責任なくて。
- 会社で働くことは、責任を背負い家族のために頑張っているんだ。お前は養われているのだから・・・。
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- A: 主婦業に子育てに、責任がないと思っている輩たちよ。
- あなたは、知らないのだ、勘違いしている。子育ての時、命を育む大変さを、24時間命を見守る大変さを、命を粗末に扱えば罪人になるぐらい責任が重いことを、あなたは知らない。
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- どれだけ、子育てに疲れノイローゼになり、病になる人が多いのを知らないのか?
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- 会社の仕事がどれだけ大変か知らないけれど、いくら失敗したからと言って罪人になるのか?ブラック企業で社畜として働いて病になるぐらいなら、辞めてほしい。
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- Q: 主婦業を手伝っても、俺の仕事を手伝えるのか?手伝えないだろう、主婦業はおまえの仕事だ、おれは、この家の大黒柱、そんなに家事を手伝えと言うのなら、俺と同じぐらい稼げよ。
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- A:すべて、お金で解決しようとする小心者よ。命を預かる子育ては時給計算すれば、普通のサラリーマンより高額になり、主婦業、子育てが、あなたよりはるかに多い収入になることをあなたは知らない。
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- A: 資本主義経済の中で、命を預かる仕事、子育て、母子家庭・父子家庭をいかに無視され、粗末に扱っているか分かるだろう。子育て業が¥0-なんて馬鹿げていることを知るべきだ。そんなことを知らない企業は辞めてしまえ。
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- そして、家族の健康を守る仕事、主婦業も同じである。家を清潔にして、家族の健康を守り、精神的・肉体的な健康を守り、影ながら、外で働くご主人をサポートしているか。
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- 社畜から離れて、自分の能力を見つめなおして、独立しなさい。収入を優先するのではなく、あなたの遣りたいこと、幸せになる仕事を通して、主婦業を助けながら、家族を支えてほしい。
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- 女性は弱者ではない。あなたと同じぐらい責任を背負っているパートナーなんだ。お互いの能力は違いこそすれ、男女が助けあうことで、二人三脚で素晴らしい家庭を築ける。
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いつの世も常に弱者は存在する
- 難しくなるのでパスOK
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- 他の人々の選択に関して責任を担わないということは、他の人々の賢い選択を手助けすべきでない、という意味ではありません。人より知恵に優れた者は、自分よりも知恵の少ない者を教えさたする責任を負っています。しかし、他の人々に何か教えるということは、彼らをコントロールしたり、罰を与えたり、あるいは彼らの人格をおとしめる行為を意味するものではありません。情愛にあふれた社会とは、間違った選択を下す人々にさえも、暖かく接するゆとりを持つことのできる社会です。
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- より賢い者が他者を導くべきであるという提案を受け入れる前に、あなた方は明らかに、自分たちの信じていることについて修正を加えなければなりません。まず最初に理解しなければならないことは、あなた方の中には他者と比べて進化発展が遅れており、それゆえこの世界でどうにかやっていくには、他の人より多く気にかけられ、監督され、訓練やサポートを必要とする人々がいるのだということです。人々は、ケアを必要とするこうした弱者を自分たちから遠ざけ、彼らの力量不足を非難することになれています。あなた方のそのような態度はことさら、彼らが自己の可能性を実現するのを難しくさせてしまっています。彼らの可能性はあなた方のものに比べればそれほど大きくはありませんが、全ての神霊があなた方に求めることは、弱者に対しても、彼らの独自の可能性…あなた方のものでも誰か他の人のものでもない…を実現させる手助けをすることです。つまり、一年生が6年生と同じ能力を持たないからといって、一年生に罰を与える人はいないでしょう、能力が低いことではなく、むしろ、進歩・発展を少しでも望めない者を罰することの方が、理屈に。かなっています。
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- あなた方に求められるもう一つは、死を迎えても終わることのない人生を成長の過程として見つめるという決意です。その為には、一つの生涯で学んだ内容が、次の生涯に受け継がれることを理解しなければなりません。何かを学び終えていないことがある場合、魂はその内容が完全に習得されるよう、もう一度試します。つまり、あなた方は他の人々が必要なことを学ぶのを助け、彼らが最終的にはその内容をマスターするだろうと信じなければなりません。人々が学ぶことを手助けし、人々が学ぶことを手助けし、人々が学んで成長していく可能性を信じることこそは、本当に自由な、そして慈愛に満ちた社会が行うべきことなのです。
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- この慈愛についてですが、社会の枠組みの中にいる人々にだけ慈愛をもって接するだけでは十分とは言えません。社会は、他のどの社会・文化・生命体にも慈しみを持たなければならないのです。では、どのような社会経済体制が有効でしょうか?資本主義でしょうか、それとも共産主義でしょうか?
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- 最も理想的な枠組みを持つ共産主義が、当然のことながら、世界統合という展望を支える社会体制であると言えるでしょう。しかし共産主義は、地球上の文化や信条の多様性を受け入れる寛容性に欠けています。さまざまな多様性や独自性を抑えつけることで、共産主義は人々に備わる力を十分に活用できずにいます。共産主義はその体制のもとで生きる人々を、小麦粉だけで作った味気なく、パッとせず、あたりさわりのない白いパンのように変えてしまいます。共産主義では、多様性や異質なもの同士の葛藤の中に存在する。豊かさや価値を尊重することができません。共産主義は平和を実現するための方法として、個性や相違点を全て払拭することに力を入れていますが、これは誤ったとり組み方です。平和を実現するためには、他者を受け入れ、他者との違いを受けとめることを人々に教えることが必要であり、そうした多様性を全てとり除いてしまうことは平和の実現に何の役たたないのです。独自性は踏みにじれれる可能性を持つ性質のものでも、また、そうされるべきものでもありません。
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- 個性こそが、資本主義を成功に導く要素です。資本主義はここの独自性を受け入れることにより、人々の幸福と生産性を保つ方法を見い出しました。資本主義が認める自由企業制の枠組みの中で、人々は自己を表現し、夢を追い、自分だけの未来を創造する機会を得ています。自己表現・自己実現のチャンスが与えられていることは人々を幸福にし、幸福な人々は同時に生産的でもあります。自由企業制のもとにある人々はまた、繁栄につながるのなら、自分達以外の文化に属する人々を受け入れることにも厭いません。