blog

ブログ

主婦業¥0-。子育て業¥0-は間違っている

  • 主婦業¥0-。子育て¥0-は間違っている
  • Q: 主婦業を仕事と考え、子育て、母子家庭・父子家庭。育児に携わるすべての人の生活保障のお金はいったいどこから捻出するのか、膨大な金額になり、経済が成り立たなくなることぐらい、子供でも分かるだろう。
  • A: 資本主義経済自体がもう「自由」をはき違えたウソのかたまりの世界なのですよ。人への慈しみとは何かあなたには分かりますか?資本主義経済を基盤にしている、国や、社会に論理観がなく、道徳観もなく、人として悪いことも、良いこともわからないのでしょう。
  • Q: 倫理観や道徳観で経済が成り立つはずがあるものか。資本主義経済に循環する金銭は成長する分を含めて、莫大な資金を子育てに主婦業を¥0-でなく有料にすることに回せるはずは無い。
  • A: 道徳とは、社会生活を営む上で、一人ひとりが守るべき行為の基準。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。格差社会である、所得・経済・資産・教育・情報など悪化が進んでいることの原因が資本主義経済から発生していることを
  • 自覚していますか?
  •  資本主義の最大の欠点は、正しいことを行う力・権力などが、国民一人ひとりにあることが民主主義によって私たちにもたされた「自由」をいう言葉の意味が、あるにもかからわず、経済的利益を得るためなら何をしても良いのだという意味にまで堕落させたのです。
  • Q: おかしなことを言うではないか?民主主義での選挙において、選出された議員から国政が成り立ち、資本主義経済を基盤とした経済を運営している。そんなにあなた方が正しいなら、国民に正しい論理と道徳を説き、何が人として悪いことなのか、良いことなのか説いて、人を集めて選挙をし、多くの議員を選出して国政を変えればよい、それが民主主義だろう。
  • A: あなたは全く心が曇っている。資本主義は、人間性を犠牲にした上での金銭価値を絶対的物として崇めています。分かりやすく言うなら、経済的利益を得るためなら何をしても良いのだというまで堕落しているのです。選挙自体が不平等な状態で、裕福な人、企業、政府にまつわる大企業などが、あきれるほど政治資金支援して、金の力で選挙を捻じ曲げている。人間性が必要なことは明らかではないですか?
  •  例えば、
  • 〇、どのような政治運動やキャンペーンも、それぞれの候補者に均等に資金が割り当てられるように、投票者達が資金を出さなければなりません。国が選挙資金として必要不可欠な資金です。
  • 〇、政治家をめざす候補者たちが、選挙に勝つためにどれほど多くの金をばらまいているかは、あきれえるほどであることは周知の事実です。財のあるなしで、立候補者の選挙活動を制限をして選挙をしてはなりません。財に力を発揮すれば選挙は腐敗そのものです。
  • 〇、さらには、政策決定・議案通過に圧力をかけるロビー活動も止めなければなりません。ロビー活動はまた、結局は権力を買うために金を費やす行動と同じだからです。
  • これが、民主主義での選挙の平等の基本の一部あり、一個人一票が基本です。アメリカの選挙人団制度は腐敗・不正そのものです。
  • 資本主義と共産主義の融合 

  • 内容は難しいですからパスOK
  • 資本主義は貪欲を第一とする宗教のようなものです、資本主義は、人間性を犠牲にした上での金銭価値を絶対的物として崇めています。資本主義者たちは物質的な面で何かを達成することで報酬を受け、褒めそやされます。資本主義者達の行動によって人類やその他の生命体にどんな損害が漏らされたかについて思いをよせる人はほとんどいません。資本主義者は今日私たちの英雄として崇められていますが、これから先、彼らが喝采をあびることは二度となくなるでしょう。
  •  世界のすべての社会経済組織に改革が必要とされています。未来においては共産主義も資本主義も完璧な社会組織であるとは言えません。なぜなら、資本主義は慈しみにおいて欠けていますし、人々への慈愛をその理想と掲げる共産主義社会においては、構造そのものが、理想現実を阻む足かせとなっています。共産主義特有の性質が人々の自発性や独創性を妨げていることから、経済構造の主役であるべき人々の幸福が保たれないことは、今や、あまりにも明らかです。しかし、資本主義と共産主義、この二つを融合させることが解決の糸口となるかもしれません。
  • 二つの社会の構造それぞれについて何が欠点なのかを分析すれば、分析で得たことを活かし、そうした欠点を除いた体制を構築できるかもしれません。
  • 資本主義の最大の欠点は、人々を導くべき論理的規範が、金銭的な利益を超える力を持ち得ていないことです。もともと民主主義によってあなた方にもたらされた自由という言葉の意味は、資本主義の登場により、経済的利益を得るためなら何をしても良いのだという意味にまで堕落していましました。資本主義は、強いものが生き残るという「適者生存」的考え方を奨励し、社会で弱い立場にある人々を気遣うことをしませんでした。どのような社会にも必ず弱者は存在しますし、それは未来においても何ら変わることはありません。慈愛に満ちた社会とは。当然のことながら弱き者を気遣う社会は次の二つの前提に基づいて成り立っています。すなわち、人々は全て、地球の資源を平等に分け与えられるべき権利を持ち、人々の基本的ニューズ満たされるよう、地球の資源を分配することが社会に求められる義務であるという前提です。この要件を満たすことは非常に難しいことではありますが、だからといって、挑戦しない言いわけにはなりません。人々の基本的欲求を満たすことは、どのような社会にも求められる主要な責任です。
  • では、労働によって社会に貢献することが可能なのに、あえて働くことを拒む人々について、社会はどう対処すべきでしょうか?かれらは資源の分け前を得るに値するでしょうか?働かないものが資源の配分を受けるか否は常に、社会主義に対してまっ先につきつけられる質問です。この問いに対する答えは、スピリチュアル(霊的)見地からは極めて単純です。つまり、だれでも皆自分に適し、意味をもった仕事に携わることができるよう、社会からの手助けを得るべきだということです。そして働くことを拒否する者がいれば、社会はその人の選択を受け入れ、その人が社会にもっと貢献しようとする意志を持つまで、その人の最低生活水準を維持させることのできるよう、サポートすべきであるということです。
  • しかし、一国の経済において、全ての人々の基本的ニーズが満たされた後になお余剰の資源が残されているという状況においてのみ、このようなスピリチュアルな提案は功を奏します。さもないと、共産主義の命とりとなった、人々の労働意欲を刺激する誘因が、資本主義の健全性をも脅かすことになりかねません。
  • 共産主義の犯した過ちは、個人としての自分の意志で意義ある仕事を見つける自由を人々に許そうとしなかったことです。職業の自由を人々に認めなかったことは、共産主義に固有の働く動機の欠如を、さらに悪化させる結果となりました。ですから未来の社会では、それぞれの人々の長所を見定め、適切なチャネルへと人々を導くための方策を備えていなければなりません。自分が携わっていることに幸福を感じていれば、人間は怠慢でありたいとは思わないはずです。
  • 働かないことを選ぶ自由を人々に認めることは自由社会、及び霊的原則に沿った考え方です。人々は自らの選択を下すことから学び、それゆえ人々の選択をありのままに尊重されるべきであるということを、霊的法則は教えています。自分の意志で選択を下すことにより、人々はより良い選択をすることができるようになります…現在のタイムラインでなければ、転生後の次のライフタイムで…。ときとしてあなた方は他の人々の選択を好ましく思わないときがあるかもしれません。それでも、彼らの代わりに選択を下す権利はあなたにはありません…あなた方が彼らの手助けをしているときは、彼らの選択を委任される権利が自分たちにあるかのように思い違いをしてしまうかもしれませんが…。
  • この地球に住む全てに例外なく、地球の資源の分け前を得る権利が与えれれているという事実を信じることができれば、あなた方は幸福というものについて、これまでとは異なった考えを持つようになるでしょう。慈愛に満ちた社会とは情愛にあふれた両親のようなものです。つまり、個人の能力や選択に拘わらず、自分の子供である全ての人々に食物を分け、衣服を与えます。慈愛に満ちた社会は社会に貢献していない者に特別に恩恵を施すことはあえてしませんが、また、彼らの口から食べ物をとり上げることもありません。さらに重要なことには、慈愛に満ちた社会の依存症を不必要に強めることはなく、従って社会から施しを得ようとする人々はほとんど存在しません。
  •  他の人々の選択に関して責任を担わないということは、他の人々の賢い選択を手助けすべきでない、という意味ではありません。人より知恵に優れた者は、自分よりも知恵の少ない者を教えさたする責任を負っています。しかし、他の人々に何か教えるということは、彼らをコントロールしたり、罰を与えたり、あるいは彼らの人格をおとしめる行為を意味するものではありません。情愛にあふれた社会とは、間違った選択を下す人々にさえも、暖かく接するゆとりを持つことのできる社会です。

読んでくれて有難うございます。

今日も良い一日でありますように祈ります。

アーカイブ