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保育園からの教育≒しつけ≒洗脳を受けたか受けなかったかで、人生に対する考え方が大きく左右される

  • 保育園からの教育≒しつけ≒洗脳を受けたか受けなかったかで、人生に対する考え方が大きく左右される

  • 全体の投稿を前略しています。最後にリンク張っていますから見て下さい。

  • 保育士のいう事を聞かないと、みんなが今何をやっているのか見てごらん。と言われたり、場合によってはみんなの前で怒られるだけなので、従わざるを得ないのです。
  • 小さな子どもたちが長い時間を過ごす保育園において寂しさを感じながら自分の事を認めて欲しいと大人の関心を必死に引いたり、時には仕方なく保育士の言う事を聞いている子どももいるのだと考えるととても悲しくなりました。
  • 逆に保育士の言う事を聞かない超マイペースな子どもがいると、しんどそうな表情をする保育士も時々いました。
  • その子は自由奔放に動き回るので、その子の対応に手をとられてしまい、他の子に対する声かけや関りが疎かになってしまいます。
  • そういう子どもの大半が発達障害ではないかと疑われていました。 実際にそうかもしれないなという子どももいましたが、中にはどう見ても違うなと思うような子どももいました。
  • でも、これは仕方がないと思いました。 保育士一人にできる事は限られています。人手不足で本当に余裕がないのです。 常に正しい判断をするのは非常に難しいです。
  • 「大人のいう事をよく聞き礼儀正しい子が良い子」のような考え方が日本ではまかり通っていますが、それは子どもを管理する大人にとって都合の良い考え方なのです。
  • 大人にとっては管理をするのが楽になりますので良いかもしれませんが、子どもにとっては本来の自分を押し込め、常に周りに合わせて生きるしかない状況なので、良い事とは言えません。
  • 日本における本来の集団保育そのものが、個性を伸ばし才能を磨くという目的を達するには無理がある仕組みとなっているのです。
  • そもそも日本の保育士配置基準は他の国と比べてもとても少ないと言われていますし、かなり昔に決められた基準なので、より今の時代にそぐわないとも思います。
  • 人手に余裕があれば子どもに寂しい思いをさせる事も減らせますし、必要以上に我慢を強いる事もないのです。
  • 子どもの個性を尊重することよりも、安全管理にフォーカスせざるを得ない状況下では子どもの自己肯定感は低くなる
  • 基本的に、子どもは常に親や大人に認められたい、他の子を押しのけてでも自分だけを見て欲しいと必死です。
  • それが子どもの本来の姿だと思います そのような過程を経ながら徐々に成長していくものです。
  • 当時、私は保育園で5人の子どもからいっぺんに話しかけられて、どうしたものかと困った事が何度かあります。
  • そういう時はとりあえずニコニコしながら聞き、ここは相槌を打った方がいいなと思うところで適当に返事して何とか会話を成立させようと努力しました。
  • まだ小さくて活舌が悪い子や自分の言いたいことをひたすら喋っているだけの子もいて、私には正直なところ、何を言っているのかほとんどわかりませんでした。
  • まぁ、それでも何とかそれぞれの子どもたちが自分の話を聞いてくれた事に満足したらしく、ものすごく嬉しそうな顔をしていたのを今でも覚えています。
  • 理想としては一人一人の話をじっくりと聞いてあげられたらいいのですが、大人の人数が少なくて子どもの方が圧倒的に多いので物理的に無理なのです。
  • 担任の保育士は他の仕事や子どもの安全配慮で余裕がなく、とても一人一人の話を聞いてあげられるような状況ではありませんでした。
  • 今の保育園では子どもが転んだり、子ども同士の喧嘩などで、ちょっとでも擦り傷を作ったりしようものなら、親によってはものすごいクレームが飛んでくる事もあるからです。
  • 担任の保育士はそれ相応の責任を求められるので、常に気を張って神経をすり減らしながらも必死なのです。
  • 私は担任ではなく、フリー保育士として働いていたので、担任の保育士が休んだ時とか行事とか食事の時間帯などその場に合わせて、補助が必要な時に各クラスにヘルプで入っていました。
  • 私が子どもたちの話をある程度じっくりきいてあげられたのは、補助として入っていて比較的余裕があったからです。
  • 私のように保育の能力が微妙な人間でも、いないよりはいく分かマシなレベルであれば、1人いるだけでも全然違うのです。
  • 子どもたちは比較的余裕のありそうな、保育士を見ると嬉しそうに近づいてきて、自分の話を聞いてもらおうと一生懸命話しかけてきます。
  • 多少、問題行動があると言われていた子どもでも、じっくりと話をきいてあげる事によって落ち着いてくる事もよくありました。
  • 他の子どもよりも余計に手がかかるから問題があると、大人が勝手に思い込んでいただけで
  • 後から思うと単にその子は自分の話を聞いて欲しい、認めて欲しいというサインを他の子よりも強く送っていただけだったのかもしれません。
  • でも、今は人手不足なので子どもたちの話をじっくり聞いてあげられるような環境にはない園も多いと思います。
  • 今の保育の現場では子どもたちを一定の場所に集めておもちゃを与え、怪我や喧嘩をしないように見守るのが精一杯かもしれません。
  • 人手があれば多少は遊びの幅や広くなりますが、そうでない場合が多いと、子どもは自分のやりたいことが十分に出来ずに不満を抱くこともあるでしょう。
  • 子どもたちはその環境下で、決められた範囲で決められた遊びをするしかないのです。
  • 説明してどうにかわかってくれる子どももいますが、納得できずに泣きわめいたり、いう事を聞かずに走り回ったりする子も当然います。
  • でも、保育士がいっぱいいっぱいで余裕がない状態だと、そこでついきつめの口調になったり、怒鳴ったりするようになってしまうのかもしれません。
  • そういう現実の中で、子どもの自主性や個性を尊重するのは到底無理な話ですし、不必要に我慢を強いる事にもなりますので、保育士と子どものどちらも心が荒んでいきます。
  • でも、やはりこれは大人の都合でしかありません。
  • 子どもからすると、自分の事をちゃんと見てもらえない、自分の話をちゃんと聞いてもらえない。という事が続けば子どもは自分が認められていないのだと考えるようになります。
  • そうなるとどうしても自己肯定感は低くなってしまいます。
  • でも、人手不足が続いている保育園の状況では、何とかしたくてもできないのです。
  • 保育園の経験がない→同調圧力に屈しない→超個性的な性格→洗脳の度合いが比較的少ない

  • 実は私は保育園に預けられた経験が全くありません。

  • 他の兄姉たちはみんな保育園に預けられたのですが、なぜか私一人だけ家庭保育で育ったのです。
  • 。その理由を親に聞いても適当に誤魔化され、未だに教えてくれません。
  • 私は特に病弱だったわけではなく、むしろ健康体でした。
  • 物心つく時には超マイペースな性格だったので、もしかすると発達障害だと思われていたのかも?なーんて思ってしまいます。
  • というわけで、実際に保育園で働くまで私は、保育園に預けられている(いた)子どもたちの気持ちがわかりませんでした。
  • 。 にもかかわらず、その私が保育士と幼稚園教諭の免許をとったのは本当に不思議です。
  • 私は5歳になってから小学校入学前に幼稚園に1年だけ通いました。
  • 。 でも、私は幼稚園での生活が嫌で嫌でたまらず、幼稚園の送迎バスに乗らずによく自宅の庭で一人で遊んでいました。
  • 幼稚園での記憶はほとんどなく、あるのは私が集団から外れて一人で遊んでいるのを、先生が困ったような感じで傍で見ていた事くらいです。
  • 基本的には素直な性格なので、小学校に入って以降は普通に集団生活に問題なく合わせることができました。
  • 中学校の時に修学旅行に行きましたが、集団での旅行が私にはあまりにも苦痛で嫌だったので、高校の修学旅行には行きたくないと思うようになりました。
  • 親からは、みんなと同じようにちゃんと行きなさいと言われていましたが、高校の修学旅行には断固拒否して行きませんでした。
  • ちなみに高校の修学旅行に行かなかったのは、兄姉間で私1人だけです。
  • 20代の後半になってから理由は自分でもよくわからないのですが、無性に中国に留学したいと思うようになり、親の反対を断固拒否して行きました。
  • 留学したのも兄姉間で私一人だけです。 でも、留学費用は自力で稼ぎました。
  • 私は20代前半の頃にはすでに父親から「会社勤めには向いていない」と言われていました。当時はその意味がよくわかりませんでした。
  • 実際に会社勤めをしてみたのですが、事務職をしているとすぐに飽きてしまってつまらないと思うようになりました。
  • 保育士をすると心身ともに衰弱し、自殺を考えたり食事が受け付けられなくなったりと死にそうになりました。
  • 営業職をすると外に出て割と自分のペースで働けるし、契約さえとれば結構自由にさせてもらえる環境だったのでそれなりに楽しかったです。
  • 一時期、ベンチャー企業で営業職として定職に就きましたが、会社が事業縮小、給料不払いの状態が続き辞めざるを得なくなり、しかたなく退職しました。
  • 私は何故か行く先々で就職した会社が倒産したり、傾いたりするので、仕方なくその度に職を転々としてきました。
  • さらに、配偶者の仕事の都合で1年半~3年のサイクルで引っ越すようになり、大阪→北海道→大阪→東京などと住所がよく変わるようになりました。
  • またいつ、配偶者が引っ越すと言い出すかわからないので、また居住地が変わるかもしれません。
  • 私には会社勤めは苦痛でしかなく、年齢的にも生活環境的にも定職に就くのは厳しいので、開き直って自営業をしています。
  • 最近、他の兄姉とは根本的な考え方や発想が大きく違っている事に改めて気が付きました。
  • 兄姉たちは会社勤めをするのが当たり前で、周囲と同じように生活するのが普通で無難であるという考え方で、今でもそれに固執しています。
  • 私はありとあらゆる仕事を試し、公私ともに台湾、香港などの比較的近い外国にも抵抗なく旅行で行くようになりました。
  • 。 今のところ、私は富裕層ではありませんが結構自由に生きています。
  • 親兄姉たちからすると、私の生活は変化が多すぎて安定とはかけ離れていて意味不明なのでついていけないようです。
  • 未だに、他の人とは違う、おかしいと言われます。 世間一般でいう普通の人間ではないかのようにも言われます。
  • でも、私からすると親兄弟のように常に周りに合わせて生きるのが正しい、無難だという考え方についていけません。
  • もしかすると、人格形成に多大な影響を及ぼす幼少時に、保育園に通わなかった事が大きく影響しているのかなと考えています。
  • 保育園での洗脳教育を受けてこなかったから、この世のアホらしい現実にいち早く気付き、洗脳から目覚めてRAPTブログの価値に気付くことができたんだろうなと思っています。
  • 次回は私がRAPTブログに出会ったきっかけと、その後の人生の変化を書きますね。
http://real-world.tokyo/inbo/education-2/

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