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むかし、女性は太陽であった。NO2

  • むかし、女性は太陽であった。NO2 
  • 「僕と同等に稼いでみなよ!!」
  • 夫の心ない言葉、非協力的な態度。
  • 同等に収入がないと、
  • 家事・育児に協力してほしいと言うこともできないの?
  • 「離婚」の2文字が浮かび続けるももこの決断は・・・
  • 距離を置かいないと私が壊れそうだ
  • 「扶養から抜け出したい」ゆむい著から引用しました。
  • 仕事して稼げと!育児と家事片手間で出来るものではありません。
  • なぜ、夫は、社会は、国家は見て見ぬふりをするのですか?
  •  平塚らいてうと与謝野との母性保護論争は
  •  平塚は子育てはとても他の労働片手間きるものではないので、国は子育てを支援すべきと唱える。
  • 当然だと思います。それを分かりながら、主婦の子育て、母子家庭、父子家庭に国の援助だけで済ますところに、国の、社会の怠慢があります。
  • そうだ!そうだ!
  •  半面、与謝野女も同様に働くべきだと主張します。
  • 家内私も与謝野晶子思想を学校で学びました。彼女の思想がしっかり植え付けられいるのです。平塚らいてうの思想を今回知り、目からうろこでした。
  • 皆さんも、与謝野晶子は良く知っていても、平塚らいてうは余り知らなかったのではないでしょうか?
  •  あ~~だから、男女平等に仕事も求め、競争するのか?妹の気持ちが分かりました。
  •  も与謝野の経済的独立を果たすべきだという主張は、一切の国家による福祉ほか拒絶し、男と同じ基準で競争する主張に繋がっているのか!!!
  •  途中、母性保護論争に参戦した山川は、女性の職業的自立も女子教育の実施も、資本主義社会における労働力欲しさに、女性労働力経済的独立とはほど遠い状態がつづきます。
  •  野麦峠見られるような過酷な労働です。女性職業的自立とはおこがましい
  • 人身売買近い就職です。7~8歳から拘束です。前渡しの金貸しです。
  • 多くの工女が亡くなっています。
  • 一時間にわたる動画「野麦峠」ですが、悲しく余りお勧めできません。
  • https://youtu.be/jGnyEn2ceyk 
  • 、歴史探索
  • https://youtu.be/9hibWmwO9oQ
  •  明治の時代は、ひどいものです。資本主義経済は、今でこそ、勤労条件は良くなっています。良くなって今の状態なのです。主婦業に子育てに、全面的に支援するシステムではないのです。資本主義の根底は、指導する国の本音は、国民の真の幸せを願ってのシステムではありません。一部の中流・上流階級の国民だけの社会でした。
  •  それゆえ、平塚も晩年共産主義に惹かれて行くのですが、共産主義は理論だけを強化しつつ、現実に実践するなら、政治と経済の矛盾になり、世界の共産主義は崩壊していきます。
  •  平塚らいてうは、エレン・ケイ影響を強く受けますエレン・ケイの思想は、保育士試験によく出てきます。
  • エレン・ケイ思想とは「教育をしない」教育とは
  •  教育しないことが最大の秘訣というのであれば,一体どうすればよいのでしょうか。『児童の世紀』の別の部分では,「静かに,おもむろに,自然を自然のあるがままに任せ,自然本来の仕事を助けるために周囲の状態に気を配る。それが本当の教育というものだ」と述べています。子どもは自ずと成長するのであって,余計なことはしない方がよいということです。
  •  では,大人はどうあるべきなのでしょうか。『児童の世紀』は,大人がモデルとして子どもの前に存在しなければならないと言います。「子どもたちが何も言われなくても,自分の周りで善が行われているのを見れば,善を行うことを学(ぶ)」と言うのです。
  • 子供たちの回りで社会どれほど善が行われているでしょうか
  • 偽善ばかりではないですか?
  • それだからこそ子供たちに本当の教育を受けてもらいたい。
  • それだからこそ、子育てに従事する、母親、母子家庭、父子家庭に最大限、
  • 支援しつつ、子供たちと共に育つ環境を、誰しも納得する生活を目指して、
  • 私たちは、創っていかなければなりません。
  • ブータン女系社会のように、明るく元気なおかんのように
  • 母性保護論争
  • 女性学・男性学 千田有紀著
  • 難しくなりますからパスOK
  • 前回から続きます
  •  与謝野の論文タイトルに、途中から論争に参加した山田わか、山川は山川菊栄です。山川は、平塚らいてうを日本のエレン・ケイ、与謝野晶子をメアリ・ウルストンクラフトと呼びます。
  •  平塚は母性を根拠に母親への権利を要求する、母性主義的差異派フェミニズムの主張であり、与謝野は女も男同様に働くべきだという平等派リベラル・フェミニズムの主張です。しかし、女も与謝野の経済的独立を果たすべきだという主張は、一切の国家による福祉ほか拒絶し、男と同じ基準で競争する主張に繋がっていきます。
  •  山川は、資本主義社会における女性の職業的自立も女子教育の実施も、結局資本の要求によって起こっていると考え、女性の経済的独立に絶対の価値はおかないけれども、「現実の問題としては与謝野氏と等しくその必要を認めている」といいます。しかしなぜ、女ばかりが自立しなければならないのか、「直接生産に与らざるすべての職業において衣食のそしりを免れまい」と問いかけます。
  •  山川は、女が固有におかれている労働状況を認識しているため、「家庭における婦人の労働は、畢意不払い労働でなくて何であろうか。思考してこのような不払い労働は、単に家庭における婦人の地位を不安定な、そして屈辱的な苦痛なものにするのみならず、ひいて労働市場における一般婦人の労働価値を低からしめるものである」といいます。「今日の、特に中流以下の日本の家庭における母親が、自己の生活費を稼ぐことはまず不可能である。
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  •  山川は、家庭でおこなわれている家事という不払い労働が、女性の独立を不可能にしているだけでなく、女性の居場所をまず家庭と定めるこのような不払い労働のあり方が、労働市場における女性労働者の位置までを決めていることを指摘しています。このような指摘は、抽象的な理想論にとどまりがちであった与謝野と平塚に比べれば、社会システムを見通していたことができるでしょう。
  •  なぜなら1910年代は、大卒ホワイトカラーが成立し、イギリスのホーム(home)を理想とする家庭や主婦が生まれ、専業主婦と子どもを養うだけの家庭賃金が成立した時期だったからです。つまり市場と家族がお互いに適合なようにシステムを作っていったじきです。これと同時に、義務教育である小学校の実質的な就学が完了するなどの学校に関するシステムや、性科学によって、性的な「逸脱」が批判され、中産階級の女性の身体は、結婚するまで処女であるべきだというような性別にかんする規範も強化されていった時期でもあったからです。母性保護論争だけでなく、貞操論争や堕胎論争など、女性の身体を争点とした論争が立て続けに起こったのは、このような近代社会システムが当時に成立したという時代背景と無縁ではありません。
  • ー後略―
  • 備考: 後述する内容として、世界のすべての社会経済組織に改革が必要とされています。未来においては共産主義も資本主義も完璧な社会組織であるとは言えません。なぜなら、資本主義は慈しみにおいて欠けていますし、人々への慈愛をその理想と掲げる共産主義社会においては、構造そのものが、理想現実を阻む足かせとなっています。共産主義特有の性質が人々の自発性や独創性を妨げていることから、経済構造の主役であるべき人々の幸福が保たれないことは、今や、あまりにも明らかです。しかし、資本主義と共産主義、この二つを融合させることが解決の糸口となるかもしれません。
  • 二つの社会の構造それぞれについて何が欠点なのかを分析すれば、分析で得たことを活かし、そうした欠点を除いた体制を構築できるかもしれません。
  • 最後に、母性保護論争は以下の平塚らいてう言葉で閉めます
  • 国家はこれを個人の自由に放任せず自ら進んで彼らを保護し、彼等の心身の健全な発達をはかることは国家として当然なすべき義務」であると主張します。「母を保護することは婦人一個の幸福のために必要なばかりではなく、その子供を通じて、全社会の幸福のため、全人類の将来のために必要なことなのです」子供を養育することによって、母の幸せは全人類の将来に繋がっていきます。

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